このサイトはプロモーションを含みます
6月4日の「徹子の部屋」に、ヴァイオリニストの前橋汀子さんが登場しますね!
日本を代表するヴァイオリニスト・前橋汀子(ていこ)さん。
81歳を迎えてもなお現役で演奏活動を続け、その生き方や人生観が多くの人々に感動を与えています。
この記事では、前橋汀子さんの結婚歴や家族、子どもやお孫さんの有無、さらに大きなケガを乗り越え90歳まで現役を目指す姿について、徹子の部屋でのエピソードも交えながら、分かりやすくご紹介します。ぜひ最後までご覧くださいませ!
前橋汀子さんの結婚歴は?

前橋ていこさんは、若い頃に一度結婚を経験されています。
しかし、その結婚生活は長くは続かず、数年で離婚されたとされています。
2012年のインタビューや複数の記録でも「若いころに一度結婚されている」と紹介されており、また「配偶者:離婚」と明記されていることからも、この情報は信憑性が高いと考えられます。
一部のメディアでは「2度の結婚歴がある」とも報じられていますが、詳細については明らかにされていません。どのような方と結婚されたのか、またどのような結婚生活だったのかは、本人がほとんど語っていないため、今もベールに包まれています。
また、1985年ごろには俳優の萩原健一さんと交際していたという噂もあり、当時の週刊誌などで報じられていましたが、結婚には至っていません。
2025年現在、前橋汀子さんは独身である可能性が高く、公式に「夫がいる」といった情報は確認されていません
前橋汀子さんに子どもや孫はいる?
前橋汀子さんには「子どもがいる」という情報は見当たりません。
長いキャリアの中で多くのインタビューや記事が発表されていますが、お子さんに関する話題が一切出てこないことからも、その可能性は低いと考えられています。
また、若い頃の結婚生活が短かったことや、その後は国内外を飛び回る多忙な演奏活動に専念されていたことを考えると、子育てと両立するのは難しかったのかもしれません。
現時点では「前橋汀子さんに子どもや孫はいない」と考えるのが自然でしょう
前橋汀子さんの家族・支えとなった存在
前橋汀子さんのご家族としては、妹の前橋由子さん(ピアニスト)が有名です。

多くの曲の伴奏をしてくれたのが由子だ。姉の性格や癖まで知り尽くした伴奏はどんな名手にもまねのできない彼女ならではのものだった。
100曲録音は2001年に達成するのだが、その2年前に妹は不慮の事故で急死した。まだ53歳だった。わがままな姉をフォローし続け、最高の伴奏をしてくれた妹。失って初めて、由子の存在の大きさに気づいたのだった。
My First JUGEMより引用
姉妹での共演歴もあり、音楽家として互いに支え合ってきたことがうかがえます。
また、母親との絆も深く、前橋さんがバイオリンを始めた当初は、母親が手書きで楽譜を書き、コンサート衣装も仕立ててくれたと語っています。
母親は96歳で亡くなられましたが、「今の自分があるのは母のおかげ」と感謝の思いを述べています。
ケガを乗り越えて――80代での大きな試練
2024年、前橋汀子さんは右肩の腱板断裂という大きなケガに見舞われました。演奏家人生62年で初めての長期離脱となり、7カ月間バイオリンを弾くことができませんでした。
「自分に残された時間はどれほどなのか」「再び弓を持てるのか」と不安にかられる中、焦る気持ちを抑え、リハビリに専念。
医師から「何歳まで演奏したいですか?」と問われた際には、
「あと10年、90歳まで演奏したい」と答え、医師を驚かせたそうです。
2025年には活動を再開し、「ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集」のリリースやリサイタルの開催など、精力的に音楽活動を続けています。
前橋汀子さんの歩みと現在の活動
- 1943年生まれ。5歳からヴァイオリンを始める。
- 桐朋学園、レニングラード音楽院、ジュリアード音楽院で研鑽を積む。
- 1962年カーネギーホールでデビュー。ベルリン・フィルなど世界的オーケストラと共演。
- 40代で日本に拠点を移し、日本を代表するヴァイオリニストとして活躍
- 2025年現在もリサイタル、若手指導、書籍出版など幅広く活動中
90歳まで現役を目指す理由
前橋汀子さんは「音楽に魅了され、一生を通じて取り組んできたことが自分の人生の味わい」と語っています。
何度も演奏してきた曲でも、視点を変えることで新たな発見があるとし、常に向上心を持って音楽と向き合い続けています。
「当たり前の日常」に感謝し、音楽を通じて人々に感動を届けることを生きがいとされている前橋さん。その姿勢は、多くのシニア世代にとっても大きな勇気と希望を与えてくれます。
前橋汀子さんのwiki風プロフィールと経歴は?


前橋汀子さんのプロフィール
前橋汀子さんのこれまでの経歴
- 4歳でヴァイオリンを始め、白系ロシア人音楽教師・小野アンナ、桐朋学園「子供のための音楽教室」の斎藤秀雄らに師事
- 小学校5年生で初リサイタルを開催。
- 17歳の1961年、高校2年生の夏に日本人初の留学生としてソ連・レニングラード音楽院(現サンクトペテルブルク音楽院)に留学。ミハイル・ヴァイマンに師事し、ヴァイオリンの技術と芸術全般の基礎教育を受ける
- 1966年、ニューヨークのジュリアード音楽院に留学。ロバート・マン、ドロシー・ディレイらに師事
- 1970年、レオポルド・ストコフスキー指揮アメリカ交響楽団とカーネギーホールでデビュー
- 1972年からスイス・モントルーに拠点を移し、世界各地で演奏活動を展開
- ベルリン・フィル、ロイヤル・フィル、フランス国立管、クリーヴランド管、イスラエル・フィルなど、世界の名門オーケストラと共演。指揮者メータ、小澤征爾らとも共演歴あり
- 1982年に日本へ本格帰国。以降、国内外でソリスト、室内楽奏者として活躍。2005年からはサントリーホールで「アフタヌーン・コンサート」を毎年開催
- 2014年「前橋汀子カルテット」を結成し、室内楽にも積極的に取り組む
- 著書に『ヴァイオリニストの第五楽章』『私のヴァイオリン 前橋汀子回想録』などがある
前橋汀子さんの家族エピソードや人物像
- 父は高等学校教員、母は専業主婦。父の好きだった俳人・中村汀女にちなんで「汀子」と名付けられた
- 幼少期から厳しくも温かい家庭環境で育ち、母親の手書きの譜面や手作りのドレスで音楽活動を支えられた
- 近年も精力的にリサイタルやCD録音、若手指導を続けている
前橋汀子さんは、幼少期から音楽の才能を磨き、日本人初のレニングラード音楽院留学生として世界に羽ばたきました。カーネギーホール・デビューをはじめ、国際的なオーケストラや名指揮者との共演を重ね、日本のクラシック界を牽引し続ける存在です。80歳を超えた今も、情熱と探究心を持って音楽活動を続けています。
まとめ
- 若い頃に一度結婚したが、数年で離婚。2度の結婚歴があるとも言われるが詳細不明
- 子どもや孫はいないと考えられている
- 妹や母親との家族の絆が、音楽家人生の大きな支えとなった
- 80代で大きなケガを経験するも、リハビリを乗り越え「90歳まで現役」を目指している
- 2025年現在もリサイタルやCDリリースなど精力的に活動中
前橋汀子さんの生き方は、年齢を重ねても自分らしく、前向きに人生を歩む大切さを教えてくれます。われわれも、前橋さんのように「今を大切に」新しいことに挑戦し続けてみてはいかがでしょうか。
コメント